人々の幸福感は、その時代、その背景、その個人の感覚により全てが同一とは言えない。
この視点は季節が巡るように移り変わる。
いま、世界は百年に一度という経済危機を迎えている。
この危機を河口とすれば、その河口から、河の流れをさか上り、紆余曲折とした濁流とともに自由市場や規制緩和という名の滝を越えると世界的な経済繁栄にたどり着く。
様々な規制緩和と自由市場の流れは民主主義国家であり資本主義社会においては、あたかもそれが清き水のように考えられるている。
しかし、論理的に見えるこの考えには大きな誤りがあることに人々は気いては居てもそこから目を背けている。
それは資本主義、自由競争の行き着く先にある膨大な富を生み出すことで発生する陰であり、暗闇で蠢く貧困である。
人々は陽の当たる場所を求めて世界を彷徨い、そこにたどり着ければみなが幸福であるとの考えられている。
富の前に立ちはだかる激烈な競争を勝ち抜く日々の努力、そしてその果たすべき大きな責任に苛まれもがき苦しまなければならい事を知らない。
資本主義や自由市場は、名を変えた弱肉強食の世界であり、その世界に住む人々は心からの休息を得ることはできず、一人暗いビルの谷間に佇む。
心の安らぎこそが人の幸福の核心であることを忘れ幸福と富を同一とモノとしてがむしゃらに競い合う。
たとえ激しい資本主義競争に打ち克ち数十億の富を手にし、高級住宅街に居を構え、高級外車を乗り回しても、それらと同時に心の安らぎ、人の幸せが得られるとは限らないのだ。
これは数年前まで、ある教師集団が唱えていた人々が平等であれば、イジメも無く、子供は立派な大人になり、健全な社会を築くであろうという人々の考えそのものである。
今の世界は悪意に満ちている。
満員電車に詰め込まれ、通勤に疲れ果て、ストレスに苛まれる。
偽装表示に食の安全を脅かされ、経済不況が職を奪い、住むところを奪い、家族を奪う。
我々はいったいどこに向かっているのだろうか?
我々はいったい何をしようとしているのでしょうか?
あなたはいま不幸ですか?
そう 不幸でなければ幸福なのですよ(^^)とりあえずは・・・はい
コメントの投稿